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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮布敎の困難」
作者
雑誌名
『敎學報知』
号数等
年月日
1898年8月17日
本文
彼の大谷派に於ける奥村氏兄妹が光州に於て實業學校を設け間接布敎の機關として熱心に土民児童の敎養を勉めつゝある由なるも目下頗る困難の境に陥り、民等は日々學校に出づるとも今日の生計を助ること能はず糊口の道さへ與へらるれば説敎にも參り學校にも入るべしとて悉く逃げ去るにぞ彼の五百子女史の如きは夜を日に継ぎて各民家に就き戸毎に敎授し人毎に敎育を加へつゝありと云ふ、又た農業の如きは他の農家等に比して成績最も好良なるより土民等も大に敎化の必要は感じつゝありて前途の望みはあれども即今彼等生活上の都合にて程宜く運ぶこと能はざる景況なりと云ふ
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