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記事題目

「朝鮮布敎は? 朝鮮人になり切つた巌氏」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1925年2月17日

本文

朝鮮布敎は? 朝鮮人になり切つた巌氏 本派朝鮮大邱駐在布敎使として朝鮮人になり切つたやうな巌常圓氏は近來は刑務方面に努力中で今回それらの用務にて久しぶりに内地に歸り東上したのであるが去日京都にあるを幸ひ都ホテルに氏を訪へは、折柄京都を去らんとして旅装中のことゝて「新聞屋さんからは眼中にない筈の私ごときに、いや恐縮ですよ」と呵々大笑裡に駅への自動車裡に左の如く語る。
朝鮮の今後 も却々問題ですよ何しろ朝鮮人は赤を好みましてね、日露國交が回復されて露西亜特異の宣伝を日本へは禁止するといふ條文が這入り要領のうまい露西亜は直に高麗共産党を解散せしめてゐますが然し赤に解散せしめて白になるのだつたらいゝけれど、蜘蛛の子を散らしても矢張り蜘蛛は蜘蛛ですからね、それが散乱されて影を潜めつゝ深まつて行つても決して薄くなることはありますまい、だから解散といふ事にあまり意義はありません、ともかく刑務方面から見た
不逞鮮人と いふものゝ今後を一層注意する事が必要です鮮明布敎!勿論どうしてもやらねばならない、内地佛敎家はどう見てゐるかしりませんが、餘りに緩慢過ぎます、宗門爲政家も餘程意を用ひて欲しい、金も捨てゝ欲しい、せめて十萬圓は年度額で捨てなくちやならないでせう、然し我々は朝鮮計りを見てそう云ふのだから、大局を見てゐる人の目と違ふ、
そこが悪い のでせう、レストランに這入つて向つたテーブルが(そこのマネージヤでない限りは)美しいかどうかを問題にするのみであつて他のテーブルは考へないのですからね、兎も角朝鮮を少し見て歸つた人の内鮮融和論も怪しいものですがそれに着手した人、布敎しようとする人ももつと深まつて欲しい、餘りに上辷りです、○れてゐない感があるたとへば融和論者
ヨボの語を 除れといつてゐるが、あれなど只モシへと呼んでゐるのと同じで決して侮辱したものぢやない、支那人をチャンコロといふのとは大分ちがふ、これなどは餘り卑近な例ですが鮮人布敎は向うの言葉を知る事です。然し語學校一つ持つてゐない日本の宗門にそれは無理でせう、だから取敢へず文書伝道をやつて欲しい、それも日本語を知つてゐる鮮人は一割か二割でそれも言葉は解しても読むことは出來ないのであるから鮮語に翻訳したものをどしへ出版して頂きたい、
英訳を百冊 するより鮮訳を一冊した方が効果は多いのです。人物を造れ、動け、このことは基督敎の足もとにも寄れない、私は内地人相手の布敎に専らなる現時開敎地布敎の現状を見てかう云つても過言ぢやないと思ひます政府が大學を造るために今豫科を開始してゐますがせめて内地宗門からもこれに敎授や講師をどんどん送つて頂きたい、さうすれば弟子も出來、布敎も出來るわけですからね、云々。

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