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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮敎況大演説會景況」
作者
雑誌名
『日宗新報』
号数等
569
年月日
1895年7月18日
本文
朝鮮敎況大演説會景況 は一昨十六日神田錦輝館に於て開かる第一席本化日將師は朝鮮に於ける日蓮宗と題し軽妙の弁慷慨の辞を以て献經のことより妙法蓮山西漸寺を京城内に建立すること北漢山の某寺を日蓮宗に歸せしめしことより大院君との談話に入り朝鮮布敎の事に及び降壇、次で澁谷文英師は朝鮮布敎軍と題し沈痛のの語を以て其の概梗を漏らす斯くて本化師再び登壇前説を補ふて入城解禁の事を弁す喝采沸くが如し師の次に現はれたるは韓僧金々藕師なり演題は朝鮮布敎沿革の一斑と云へど説く所は新羅朝に其の盛なりしことを云へるのみにて壇を下るや山崎嶺億師雄弁を振つて先づ従容録を提唱し廬陵の米価などと云ひ至るや禅は天摩にあらずやなどの声起る山崎師の次ぎて登りたるは武田宣明師次は韓僧朴蘭谷師其次は佐野前励師にして師曰く私は金香炉で有名な佐野前励であります朝鮮京城に蟄伏して居ると云はれましたが此處に居る所が妙でせうと一二言して降壇、終に脇田堯惇師は大日本と云ふことに就て弁ぜられぬ、聴衆滿場近來の盛會なり
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