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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮日宗發展計畫 静岡龍華寺の移転」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1910年9月20日
本文
日蓮宗々院にては日韓併合を動機として朝鮮に於ひて飛躍する所あらんと寄々計畫中なるが、總監佐野前励師は朝鮮布敎に○○を有することゝて多年の○○を實際に○ぼすならんとは師を知る者の○期する所なるが、聞く所に依れば未だ發表せざるも佐野師の○○にては朝鮮布敎の第一歩として京城の地を卜し日持上人の舊蹟を以て有名なる静岡の龍華寺本山を移転せんとする計畫あり、日持上人は日蓮上人の高弟にして海外布敎の先駆者を以て宗門史に異彩を放ち其事蹟明かならざるも蝦夷樺太を經て沿海洲より滿洲に入り朝鮮にて入寂せられしならんとは一般に信ぜらるゝ所なるが、龍華寺は上人の住せられし寺にして日蓮上人遷化十參回忌を此寺に修し直ちに北海○に向つて壮圖を試みられぬ、海外布敎に就ひて宗内に比類なき名誉と歴史とを有する龍華寺をして上人終焉の地と信せらるゝ朝鮮に移して別院となし朝鮮に於ける日宗の中心として布敎に盡すあらば開敎の面目を新たにするを得べしと畫策しつゝあり、尤も之れが實現を見る暁は宗門の事業として移転せしむるなるが、移転後の住職は現住其任に當るべしと云ふ、併し果して佐野總監の計畫が實現せらるゝや否やは疑問にして愈々之れを宗門に諮る事とならば議論百出するならん計畫は固より間然する所にあらざれど宗門の現状は財政の餘裕なく他に飛躍せしむる能はず、仮令末寺課金の割增をなして朝鮮開敎の資に與ふるとするも高の知れた事にて豫期の結果を収め得ざるばし、加かず他に確固たる財源を發見して然る後發せんにはと論ずる者多ければ實現の程覺束なしと云ふ。
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