植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮總督府と曹洞寺院」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1916年3月29日
本文
曹洞宗管長石川素童は朝鮮神社寺院規則に依り従來の各布敎所を寺院に改め寺號公称を届出たるに対し、其筋にては唯だ京城日韓寺を許したのみにして他の十餘箇所の新寺號は之を許さゞるにより目下尚交渉を重ねつゝあるが、其重なる交渉点は、△寺院境内地問題 總督府の意見としては一寺建立の際、境内地は其寺の所有ならざるべからず然るに曹洞宗布敎所敷地は總て其宗の敎學財團の名義にして、若し之を変更する場合には宗議會の協賛を得るを要するを以て今年末ならざれば確定すること能はず、爲に管長は今年末に名義変更すべき内約の下に認可を與ふべしと主張しつゝあり。△檀信徒權利問題 布敎所は總て宗費を以て補助し建築せるものにして其寺の檀信徒に全權を與ふべき性質のものに非ず、然るに總督府は宗務管長には承認權を與ふるのみにして寺院支配及び住職推薦權は總て檀信徒に與へたる爲に寺號公称の將來權利は總て檀信徒の自由に歸し曹洞宗財産たる確認を得る能はざるを恐れ内地と同様本末關係を結ばんとしつゝあり、若し認可を與ふる時は總ての布敎所を永平寺末寺總持寺末となすべしと。△住職問題 従來の各布敎師は内地の住職者にして何れも臨時派出として任命したるものなるが、今回は檀信徒の招きに応じ専任住職たらざるべからざるを以て内地の住職寺を失はざるべからざる困難を感じつゝあるが、今回仮りに二重の住職を許し檀信徒と管長の間に内約を設け更迭の際は妥協の道を執らんとしつゝあり。以上の各項は各宗共に最も注意すべき事項にし朝鮮だからとて各宗聯合會が等閑に附しつゝあるは迂闊なるべく、總督に於ては各宗管長が經営せる事實を無視し曾て何等の諮詢なく専斷的に規定せるは早計の謗を免がれざるべしと。