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記事題目

「朝鮮近報(四月廿四日釜山發)」

作者

雑誌名

『日宗新報』

号数等

430

年月日

1892年5月10日

本文

(前略)
○妙覺寺別院支院を設く 今度仁川、元山津等に於ける本宗信徒が萬人講なるものを組織して當港妙覺寺別院に対し支院を設けられんことを申込たれば同院に於ても大に喜こび不日敎田開拓の爲め支院を設置する計畫中
○元山津 は本邦人の居留するもの七百餘人、戸數一百五十餘戸寺院は本願寺釜山別院の支院あるのみ故に日宗の信徒は法用を真宗の僧侶に托するを嫌ひて先頃宮崎某西山某石井某等の參氏が發起者となり清正堂を建築し當今は信者も增加したれども何分領事館警察署等の公許を得ざるものゆゑ萬般差支へ勝のみにて隔靴掻痒の感なきにあらず依て此際布敎家を派遣し大に敎田を耕やされんことを切に希望する所にあれど去りとて布敎を口實として内心自分の懐中のみを肥やさんとする根性からヤレ布敎だのヤレ精霊祭だのとて多くの善男善女を瞞着し布敎費募集義捐金募集と内地の金銭を貪ぼり來つて酒飲料にする似而僧侶は當港にても何處にても決して渡來するを希望せずと信徒一同は申し居れり

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