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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮釜山通信」
作者
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1892年10月18日
本文
(前略)○當港共立學校にては近頃韓人敎育を始めしに學生二十餘名もありて其成績を聞くに實に驚くべき進歩をなせり小生(加藤文敎氏)も大に感ずる所あり不日内地を巡歴し諸山の僧徒を尋ねて其意見を聞き韓國佛敎回復の第一策として韓僧敎育の路を開き而して後漸次内地に布敎を試むる覺悟なり元來韓人は無敎育のもの十中の九を占め居る故之に対して直接に布敎するも勞多くして功少きを以て先づ韓僧敎育の路を開き然る後内地人民に布敎せしめば寧ろ直接に布敎するに勝れるものあらん尚通信すべき廉多きも汽船出發の時間に逼りたるを以て已むなく後便に附す(朝鮮國釜山在留加藤文敎氏報)
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