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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮駐在加藤文敎師」
作者
雑誌名
『日宗新報』
号数等
414
年月日
1891年12月25日
本文
朝鮮駐在加藤文敎師 消息の端に曰く前略、今回領事館の許可を得て妙覺寺別院公称致す事に相成山主旭僧正より諸佛御運送に相成り今日にては内外完備し信徒も深く滿足致し先外國に本宗道場開軫を呈したる事に候又小生布敎の機關として設立した國恩會も非常に當居留人民の意に叶ひ僅に二ヶ月を經るも會員已に七十餘名に達し毎日曜毎に會合し學術上の進歩を謀と同時に徳義上宗敎上の進歩を謀り居り候尤も當港は宗敎上の思想甚淡薄にて内地十七八年頃の程度に御坐候併し真宗の無茶苦茶の難有聯と本宗の御利益貰の信者は澤山有之候尤も信徒も小生渡韓の際調査したる時は廿九名にてありしも目下六十七戸に達し候而て十中八九は他宗にて病氣とか何とか利益を得て改宗する者に候此上は不肖ながらも粉骨碎身、佛祖の加被力を得て敎理上真正の信徒を得んものと心懸居り候又在韓中當國は古佛敎國にも候得ば内地佛敎上に於る古跡等漫遊の上御通知申上候云々
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