植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「歸属した朝鮮の弥陀敎 幹部等本山で得度」
作者
雑誌名
『真宗』
号数等
427
年月日
1937年4月
本文
東學系の流れを汲む類似宗敎の一として、大正より昭和にかけて、朝鮮民衆の間に偉大なる力を有してゐた弥陀敎(水雲敎)が本年一月、佛敎本然の姿に立ち歸り敎主李象龍氏以下五千の信徒全部をあげて大谷派に歸属を願出た。これに対して本山では同敎の詳細に亘り慎重研究の結果、遂に李象龍氏ほか幹部十參名に得度を許可することゝなり、參月十六日本山に於て得度式を受けた。
弥陀敎は元、水雲敎と称し大正十二年頃京城に開敎し、前記李象龍氏を敎主とする類似宗敎であつたが、次第に敎線を拡張して大正十四年忠清南道大徳郡炭洞面秋木里に、本殿を新築、水雲敎本部とした。このため従來數十戸の寒村も忽ち五百數十戸の多きに達し、敎勢も相當著しく發展し現在の敎徒は五千といはれ鮮内は殆ど各道に亘り布敎所を設け、大阪にも出張所を置くに至つたが、漸時佛敎信仰に傾き昭和八年頃より一層著しく佛敎化するに至り、昨年迄水雲敎と称してゐたが弥陀敎と改称するに至つたもので、道當局に於ても相當之が善導に努める所があつた。
本敎が大谷派に歸属するに至つた原因は昨夏論山郡豆磨面新都内布敎所に於て、朝鮮人に対する佛敎講習會を開催するや、敎徒四名出席した見學したる事あり、次で十二月の弥陀敎本部の佛敎講習會に大谷派大田布敎所梁正黙氏の佛敎講演を聞き、日本佛敎の深遠なる翻然感動し、敎主も又僧侶生活六十餘年の經験があり、その理解は他の敎徒に比して一層顯著なるものがあり、又五千の敎徒も佛敎転向は夙に念願してゐたところとて、翕然として吾が大谷派に歸依するに至つたのである。
得度を許可された同敎幹部は次の通りである。
(敎主)李象龍 (唯心院長)金永達 (財務院長)金尚極 (奉禮司)張明粲 (善忍士)李鳳九 (主掌)李殷英 (善忍士)潘武禄 (同)李賢秀 (同)尹志鵬 (監務員)金盛一 (同)李盛愚 (同)公洛文 (善忍士)金讃鎬 鄭海誠
因みに李象龍氏は本年九十四歳の高齢なる尚矍鑠たる元氣あり、十一歳に出家し七十歳に至る迄朝鮮各地の寺院に於て修業した人である。
弥陀敎幹部得度式
得度を許された弥陀敎々主李象龍氏ほか同敎幹部十參名と、大谷派朝鮮僧侶養成所生徒八名を加へて二十二名の得度式は、參月十六日午後一時より本山大師堂に於て行はれた。
式後黒衣墨袈裟の一同は大寝殿で度牒の授與を受け、夾輔能浄院殿の感銘深い御訓示があり、次いで敎學部長より舊弥陀敎本部に安置する御本尊の下付伝達式が執り行はれ、更に宮御殿に於て總長、部長らの訓示、茶話會の後、一同は深い感激に面を輝かして本山を辞去した。
尚、李象龍氏は黒書院に於て特に法主台下に接見を許され、台下より金襴地一巻を下付された。
(得度受式者 略)