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記事題目

「浄宗朝鮮開敎方針」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1914年7月4日

本文

東上中の浄土宗朝鮮開敎使長道重信敎氏を訪ひ氏が朝鮮及び安東県巡敎の結果、將來如何なる開敎方針を執らんとするやを質したるに、氏は一言に日語學校の普及なりと答へ、朝鮮一般の國民が日語を解し使用せんと欲しつゝあるは先年以來の氣分らしきが未だ數箇所以上を出でず、而して其の設備ある者と雖も普通鮮民には入學するに不便なり、故に敎家は先づ極めて簡易なる日語學校を各郡に寺子屋式に設け彼等に日語を敎へつゝ敎家の任を盡すならば知らず識らずの間を敎導する事を得べし、佛敎も李朝時代より非常なる衰へ方でありしも鮮人其者の心裡には佛種未だ根絶し居らず、導けば必ず効果あるに相違なし、各府尹に於ても佛敎の宣布には何かと便利を與へつゝあり、京城の府尹の如きは毎々參敎者を招待し懇話を交しつゝあり、左れば將來大に努力して開敎の道を講ずる必要あり、浄土宗の如きは今日微かに參十箇所に過ぎず一部に一ヶ寺位設けて善からんと思ふ、尚ほ宗務の方針は今後開敎所の數の增加よりも従前の開敎所の充實を圖らんとしつゝあれば此際個人の有志が自ら進んで開敎せば青年僧侶の好き活動舞台ならん、云々。

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