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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「海外の布敎に就て一言す」
作者
在釜山加藤文敎
雑誌名
『日宗新報』
号数等
446
年月日
1892年7月30日
本文
豫輩の布敎しつゝ在るは、目的外人を化導するにはあらず、即ち朝鮮居留地に於る、本邦人を化導するに在り、(中略)今や朝鮮に於る我邦移住民の統計表を見るに、釜山のみにても戸數は九百餘、人員は一萬〇參百餘人、仁川は戸數四百にして人口四千餘、元山は戸數二百七十人口參千餘、京城は戸數九千人口四百餘、其他海上には四千餘人(最も之は支那なれども)之に馬浦東莱等を惣計すれば、二萬有餘の同胞あり、而して日宗五千餘の僧中より二人や參人布敎するも、何の不可なる事あらんや、否不可なることなきのみならず、這る多數の移住民を、度外に抛擲し置く事は、敎家の忍びさる所ろなり、
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