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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「海外布敎の全滅」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1903年12月20日
本文
○海外布敎の全滅 大谷派本山か參十七年度豫算に於て全く海外布敎の項目を抹殺し去りたるが如く履門千參百九十二圓、泉州千五百參十六圓、漳州九百七十二圓、杭州日文學堂二千六百八十圓、南京東文學堂千六百五十圓以上清國八千參百五十圓、木浦四百五十圓、鎮南浦五百四十圓、群山五百十圓以上韓國千五百圓は全く廃止せられ外に名は海外布敎と呼べども其實際は在留邦人を目的とするに過ぎざるものは減冊を加へて之を存せり即ち上海千二百年(本年に比し二百〇四圓減)、釜山別院四百八十圓(九百六十六圓減)、元山支院百八十圓(百五十四圓減)、駐在布敎費參千圓(二百七十圓減)外に台南六百圓(四百八十九圓減)、台北九百六十圓(九十九圓)彰化參百六十圓(四百參十圓減)にして開敎費總額七千四百六十圓なれば前年に比して一萬二千五百四十九圓の減殺となりたるなり。
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