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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「海外布敎の全滅」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1903年12月24日
本文
海外布敎の名は何ぞ大なる、東本願寺の之に費すところ僅々數千圓、亦安価なる哉。
當局は今や財政整理の必要上、各方面に向つて大減殺を斷行せんとす、海外布敎の全廃せらるゝ亦怪むに足らざるべし、現内局の方針たる財政のために何物も葬るも辞せざる處。
果して財政のためには何物も葬るも辞せざる乎、新に入りたる俗役一二輩の俸給實に數千圓、其額に於て慥に海外布敎費と匹敵す。
山内に於ける椅子の一二脚を減ずれば優に海外に於ける布敎の面目を保つことを得、俗人臀肉貴ぶべきか、外人の救済重んずべきか。
縮小果して真なる乎、膨脹果して真なる乎、左手の縮める處に右手伸び、前脚の蹴ける處に後脚高し、要するに是れむ方針。
海外布敎、其名の美に比して其實云ふに足らず、之を全廃するも時として不可あらずと、借問す高給役員の增加は彼に比して如何。
由來「財政整理」の四文字中には一種云ふべからざる消息蟠ると伝ふ、吾輩は餘りトンチンカンなる本山の態度を見て益々之を疑ふ。
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