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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「海外布敎の建言」
作者
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1894年11月8日
本文
天台の如き浄土の如き真宗の如き日蓮宗の如きも既に海外布敎に着手せるに独り曹洞宗の此の事なきは遺憾と思ひしに岐阜県下武儀郡下有知村龍泰寺住職瀧田融智師は去月十參日を以て海外布敎に關する一篇の建言を曹洞宗事務取扱まで提出せられたる由其の要旨は左の如し
佛敎は印度に起りて我國に入りたるも今や大乗佛敎は我國を以て中心点となさゞるべからず(中略)印度、支那、朝鮮の如きは徒に佛敎の形骸を存するに止まり其の精神は全く消耗して觀るべきものなく延ひて國家の衰頽に及び古佛先聖の苦心經営殆ど泡沫に歸せんとす深く慨歎悲憤すべきの至と此時に當り我日本佛敎家たる者奮一番東洋の佛敎を恢復し東洋の文明を振興し以て永く東洋の平和を維持するを計らざるべからず是れその國家及佛祖に報答する所以なり(中略)且つ刻下海外遠征に従事せる我數萬の軍隊に対して慰問の禮をますも亦吾人の義務なり依て我當路の諸老師は適當の方法を設け速に軍隊慰問を兼ね布敎師を派遣し以て東洋文明恢復の大計に着手せられんことを希望す云々
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