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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「清韓開敎縮少問題」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1907年11月19日
本文
西本願寺にて近來清韓両國に於ける開敎線縮少の議論持ち上がらんとしつゝあり、夫は今日の如き財政苦き本山に於て前途望み少き清韓両國に年々七萬圓近き巨費を投ずるは無謀の企畫なれば此際斷然たる處置を以て大縮少を行ひ、本山の財源に照して永遠に持續せらるゝ極小規模のものに縮少するを以て今日の機宜に適したる方法なりとし、而て四十四年の大法要に關する諸準備を遺憾なく準備し若し其の上に餘裕もあらば内地の布敎に力を入るゝも好し、兎も角に見込なき財源を以て清韓両國に手を拡ぐるは却つて本願寺の威信を傷つくるものなりと云ふにあるが、或は早晩事實となるやも知らずと云ふ。
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