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記事題目

「滿韓敎況巡視日記」

作者

随行員内田宏道

雑誌名

『龍谷週報』

号数等

21・
22・
25・
26

年月日

1909年7月17日、24日、8月14日、21日

本文

積徳院聯枝には執行長として繁劇なる一山の事務を綜理せられ、且つ韓國及び清國開敎總監の重任を兼摂せらるゝを以て、山務稍や間なる此の期間を利用して滿韓敎況視察の途に上られんとす・・・・七月六日午前五時二十八分随行員内田宏道韓國龍山赴任の津村清澄及び實修旅行の工科大學生楠宗道の參名を随へ、・・・・京都駅を發車せられ、・・・・・
【以下、行程を略記】
7/ 7釜山着,釜山守備隊慰問,兵士約40名に歸敬式
7/ 8釜山監獄,午後に釜山出張所で信徒166名・兵士25名に歸敬式
7/ 9釜山發,馬山着,出張所で87名に歸敬式
7/10馬山發,大邱着,出張所で26名に歸敬式,聯隊本部を慰問,52名の兵士に歸敬式
7/11大邱發,龍山着
7/12統監府到着,伊藤前統監・曽根統監を訪問,曽根統監帶同し韓皇に拝謁。龍山發,仁川着
7/13信徒310餘名に歸敬式
7/14仁川發,龍山着,韓人大聖敎會員總代80餘名出迎え,龍山出張所で56名に歸敬式
「八時五分龍山駅着、當地信徒竝に京城駐在開敎使巌常圓の設立せる韓人大聖敎會總代八拾餘名、會旗を擁し念珠を手にし殊勝に出迎ひ申上げ」
7/15京城へ,南大門外に韓人大聖敎會員500餘名出迎え,長谷川町出張所で日韓人61名に歸敬式
「南大門外には韓人大聖敎會員五百餘名の男女は通路の両側に整列して歓迎の敬意を表せるは、異彩を放つて頗る人目を惹けり」
7/16曽根統監訪問,京城で大聖敎會の歓迎式,會員1600餘名整列,主任開敎巌常圓開會の辞,積徳院「日韓人和衷協同して真俗二諦の我信徒たるの本分を全ふせられたし」と敎諭。大聖敎會員7000餘名に達す,同愛國婦人會の事業として巌開敎使が養心女學校,敎職員8名,生徒42名。龍山で韓國暴徒討伐での戦死者の追弔會
「十時より京城光宣門内歴代皇帝頌徳碑建設地なる廣庭に於ける大聖敎會なる韓人歓迎の式場に望まれたり、式場は恰も日比谷公園に於ける赤十字總會の小規模なるものにして紅白の幕を以て柱を巻き立てし仮屋を建設して、此には聯枝竝に随行員及び中枢院顧問李○鎔夫人の席を設け大聖敎會員男女一千六百餘名整列し、主任開敎巌常圓先づ開會を報じ、韓人鼓樂中に聯枝着席次で大聖敎會員總代は七千餘名に達せる會員名簿を捧呈し、(中略)同敎會は巌開敎使多年指導の盡力により京城近に亘り七千餘名に達すと云ふ又同愛國婦人會の事業として巌開敎使の苦心經営せる養心女學校にも聯枝參觀の筈なりしも龍山に於ける追弔會時間切迫の爲め代理として内田随行員を遣はさる、同婦人會副總裁昌君母堂(皇族)同幹事李首相夫人、同會長中枢院顧問李○鎔夫人竝に敎職員八名玄關に迎へ、直に生徒四十二名を収容せる敎場に案内せしを以て、養心女學校の名に背かず心を佛陀慈光の中に養ひ業を修め徳を進め以て韓國婦人としての品格を高め文明指導者として自重努力ありたき旨聯枝の御言葉を伝へ、・・・」
7/17南大門駅發,平壌駅着,出張所で68名に歸敬式
7/18平壌發,新義州駅着,安東県, 出張所で52名に歸敬式
7/19安東県駅發,草河口駅着
7/20草河口駅發,奉天着
7/21南滿洲鉄道の終点長春着,露國東清鉄道にて哈爾濱に着
7/22哈爾濱視察,居留民700人。川上總領事夫妻・關東都督府就參謀大田黒少佐・川井參井支店長等と面談
7/23哈爾濱視察,哈爾濱發,列車にて浦塩斯徳に向かう。
7/24清露國境のポプラニーチエ駅で太田布敎使らが出迎え、夜・浦塩斯徳に到着
7/25浦塩斯徳滞在
7/26浦塩斯徳滞在
7/27浦塩斯徳滞在,信徒170名に歸敬式
7/28敦賀直航露國義勇艦隊モンゴリア號に乗船
7/30早朝,敦賀港到着

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