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記事題目

「滿鮮竝支那布敎 東本願寺は?」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1918年7月12・13・14・18日

本文

△東本願寺と朝鮮開敎 現状と銘を打てば御氣の毒ながら西本願寺にも或は浄土宗にも劣るかも知れぬ、足を一歩朝鮮に入るれば這般の真相は直ぐ觀破せられる。
△東本願寺と朝鮮 との間に古いへ開敎の因縁が結ばれてあつたにも拘らず、現状に於てボツト出の西本願寺や浄土宗にナゼやられるかといふに、一つの原因は大谷派現内局の姿勢方針が消極的にして徒らに苟安を貪るが爲めでもあり、且つは在鮮の内地人が十中九分近くまで西の門徒であるからだ
△しからば鮮人開敎 は如何といふに是れまた頗る不振で浄土宗の後塵をも拝することが出來ない、今後は知らず現状は件の如しである

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