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記事題目

「滿鮮開敎と浄土宗」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1917年11月25日

本文

十月中旬以來滿鮮に於ける浄土宗の開敎状態及び將來の方針を定むべく視察中なりし竹石敎學部長の歸東されたるより宗務所に訪ひて所感を叩けば、氏は滿面の希望の色を漂はしつゝ語る、『私は滿州大聯に上陸、木村開敎区長と共に各布敎所所在地を巡回し歸途朝鮮をも視察しましたが、(中略)朝鮮の方は現状を充實さすに力めんと考へて居るが京城に長谷川總督、山縣政務長官、宇佐見内務部長を訪問しました、宇佐見氏とは宗敎局に在りての關係上大に議論を戦はし今日の朝鮮寺院に対する總督府の方針に就て希望をも述べて置きました、總督府は朝鮮に在る内地よりの新設寺院に対して内地同様の取扱をなさんとしつゝあることは我々の欲せざる所にして今更府令の改正を迫ることも出來まいが、常に基敎の背景を楯に佛敎を攻撃する傾があるから大に弁明を試みて置いた、將來浄土宗が滿鮮熟れに開敎の力を加へるかと云へば先づ滿州の方であります、自分は職を辞することあるも兎も角視察の結果獲たる智識を以て意見書を残して置く考へであります(以下略)』

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