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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「滿鮮開敎決議」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1918年7月14日
本文
西本願寺に於ては此程朝鮮、滿洲両開敎總長を呼び上して滿鮮開敎協議會を開きたるが、大要下記の如き決議をなしたり。
△朝鮮十參道の道庁と府員の所在地竝に太田、鎮海湾には依然本山直営の布敎所を置く必要がある、現在本山直営の布敎所は二十參ケ所独立のものが二十六ケ所あり。
△現在朝鮮人開敎の機關たる大聖敎會を改善して益々其拡張を謀ることが今日の急務である、これが開敎の方法は鮮人の子弟を内地に留學させて日本語を修得させ、夫から歸國して鮮人開敎に従事させる方法を設け、又一方には日本人の子弟を朝鮮に派遣して半年間位は主として鮮人風俗習慣を見習はして夫から後ち鮮人の寺に入つて朝鮮語を研究して鮮人開敎に従事することとする。(中略)
△出來得れば別格別院を新設したき希望あれども總督府の方針として本願寺の別院が二は入らぬ一で善しと云ふことにて許可すまじ。
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