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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「總督府大谷派の爲に 鮮人敎化費を計上す」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1920年9月19日
本文
大谷派朝鮮布敎監督部掌事青森徳英氏は十五日來入洛河六旅館に滞在中なるが鮮人敎化會館に就て曰く
昨年來 企畫せる鮮人敎化の會館建設の議はその後内地存在者の応援をもとめ居れるが總督府に於ても明年の豫算中にこれが經営費中補助金を計上し居る位なれば一日も早く會館を建設せざれば事業を開始する事能はず、従つて總督府の補助金交付を受くること能はざる訳なれば先づ會館建設に全力を集注して會館を建設し以て鮮人敎化の
策源地 とすべく種々畫策をめぐらしつゝあり、鮮人敎化は布敎を第一義として進行し難き特種なる事情ある故に基督敎の如く社會事業を以て彼等と結び徐に第一義諦を力説高調すべき方針なり今回の試みたるや全く佛敎徒のノルかソルかの重要施設にしてその成績は一派の企畫として軽々に看過し去るを許さざるものあり、會館建設地は曩に總督府より内地の境内官有地の如く無償
貸與せ るものにして前公使館跡の千參百坪なり、布敎監督部の經営する處なれば本山直属の事業なり、云々。
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