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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「興亞宗敎戦士は認可制 興亞院が神佛基參敎合併の 宗敎敎師養成機關を開設」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1941年11月12日
本文
宗敎團體が行政の対象となつてただ國家の保護を受けている時代ではない、宗敎が政治の内容となり宗敎家がその實行者となつて國策を遂行しなくてはなぬ、かくて即今に於ては宗敎の興亞性が高度に發現されねばならぬとして神、佛、基各敎とも共栄圏への開敎師布敎師を送り出し興亞宗敎戦士の活動を期してゐるが、かねてから此等各敎戦士を統綜し一元的にその機能を伸はしめんと興亞院、外務、陸軍、文部各省間で対策考究中であるし聞く所によれば、大陸宗敎工作は興亞院に於て認許したる開敎師、宣敎師のみによつて行ほしめる、即ち宗敎工作の任を帶びたる宗敎家の渡支は全部興亞院の許可を要することになり、敎宗團にあつては現存する役○員以外の渡支を許さないことになる模様である、なほ興亞院は現に神、佛、基參敎合併の興亞宗敎敎師を養成訓練する特殊機關の開設を計畫し近く具體化するものの如くである。
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