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記事題目

「開敎の現況座談會」

作者

雑誌名

『本願寺新報』

号数等

年月日

1941年5月5日

本文

四總長に展望を聞く
 出席者
滿洲開敎總長 千葉康之
北支布敎總監 芝原玄超
朝鮮開敎總長 岡部宗城
樺太開敎總長 ○川玄○
 本社側 清水主事
岡部 朝鮮は國體明徴、内鮮一如、大陸兵站の參大目標下に皇國臣民化運動が行はれてゐるので本願寺もこの線に沿つて開敎に努めてゐる、氏姓制度が行はれるや率先して全布敎所に氏姓相談所を開設せしめ非常に喜ばれた。半島人の敎化は難しい、李朝五百年間は佛敎は徹底的に圧迫されて衰頽し日韓合併以來はその反動で僧侶が○洛し半島人僧侶はさつぱり信用がないので困る、急がば廻れで半島人敎化は子供からといふことに根本方針をおき佛敎少年團を全布敎所につくらせた、青少年○○をなし得ない布敎者は朝鮮でボイコ・・・・・(判読不能)・・・・女性の目覺めが活發となり婦人會が續々結成されてゐる、半島同胞ばかりの説敎所も五、六箇所出來た、内地の大政翼賛運動に呼応して朝鮮では國民總力聯盟が生れ、大谷派の上野君と僕とが佛敎側から役員に任命されてゐる、本派では愛國護法運動を展開してゐることは度々本願寺新報で報道された通り、七つの支部、全鮮に亘る分會は僧俗一體となつて活發な動きを見てゐる、なほ本派僧侶で思想保護司に任命されてゐる者多く、思想犯の転向に歎異鈔が大きな契機をなしてゐるのは内地と同じである

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