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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「開敎地の種々相(開敎雑話(3)」
作者
黒頭巾生
雑誌名
『真宗』
号数等
318
年月日
1928年4月
本文
開敎か追敎か よく言はれることであるが、佛敎徒が開敎々々といつてゐるのは、本當の意味での開敎ではなくて、移民の尻を追ひかけて行く追敎に過ぎないと、事實そう言はれても一言の弁解ができない。東西本願寺の開敎のどの方面を眺めても、全く言葉通りの追かけて行つてる状態であつて、全然信徒のいないところに、爲法不爲身の大命を自覺して行つてゐる人は絶無である。
そのために、開敎地で百年の將來を思ふ人たちは、其地に佛種を失くなさぬ様なことを思ひつくのである。大谷大學に留學生となつて入つてゐる朝鮮からの學生、さては布哇からの學生なdpがその例である。が、向ふの信徒たちは大してそんことに心がゝりをしてゐる訳でもない様に見える。
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