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記事題目

「韓僧月輪再明氏」

作者

雑誌名

『明敎新誌』

号数等

年月日

1895年10月26日

本文

同氏は本月五日日本より仁川に歸着せり氏は名に負ふ慶尚道の一大寺通度寺の僧侶にして曩にっ京城より我國日蓮宗の佐野氏に従ひて日本に來り京都妙心寺に滞在し日本佛敎の現状を觀察して大に悟る所あり歸國の上は朝鮮全國の寺院を總轄せる京城南漢北漢の僧大將に説き朝鮮佛法を日本的に改革し或は各地に學校を設て佛敎青年の敎育を努め巡廻敎師を設け佛の敎旨を説きて人民を開導する抔其他日本佛敎通りに朝鮮佛敎の組織を改めんとの大決心を齎らして歸國し一旦は通度寺に歸へり程なくして再び京城に赴く筈なりと朝鮮佛敎殆んど腐敗の極に達し僧侶と云へば人より乞食と同視せらるゝ今日氏か計畫の如きは時に取りての一大急勢なりと云ふべし因に記す慶尚道の通度寺は江原道の金剛山とならび称せられ其規模尚少しは金剛山よりは大なる方にて僧侶の數無慮九百有餘人の多きに達し佛舎利及び釈迦の袈裟等を有する朝鮮屈指の大寺なり(朝鮮時報)

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