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記事題目

「韓國に於ける浄土宗僧侶の乱暴」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1905年11月2日

本文

△浄土宗僧侶の横暴 浄土宗の松岡白雄氏と云ふは日本浄土宗開敎使韓國敎會長○北陸軍慰問大使と云ふ仰々敷大看板を以て木浦開敎に従事し居れるが、其行爲頗る穏かならざるものありて内外敎徒の疾視する所となり、今や敎案問題をも惹起せざるやとの形成を呈し居れり、先づ浄土宗に入るものは日韓條約の締結と共に罷免の不幸に逢へる韓國官吏の不平党又は東學党の餘党の如き無頼漢のみにて日本宗敎を利用して一種の敎民を造り人民の生命財産を保護せんと云ふ韓人の希望を利用して自家の勢力を扶殖せんとし、目下浄土宗木浦敎會長たる(昨年まで木浦の警部たりし)參品金順根(元元山領事館雇員たりし)郡雲龍の二人は毎日十人位宛の随員を聯れて各村を巡廻し盛んに入會勧誘をなしつゝあり
△協約と入會金 此敎會に入會する者は通常會員は壱圓二十五銭づゝの信任金を徴集して徽章を與へ、二十圓以上出金の名誉會員には參ヶ葵の定紋ある金鍍の敎會員章を付與し、若し同敎會員中に法律に抵触し警務官に捕へられたる時は敎會員多數押寄せて之が解放を迫るの協約なるを以て近々續々入會するもの其多くは日本排斥党の分子の集合なりと云ふ。(以下略)

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