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記事題目

「韓國伝道私案」

作者

在韓 哲魔

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1910年2月14日

本文

信徒本位は駄目なり 吾國伝道の仕振りはイツモ信徒本位なり信徒あつて爰に僧侶往き尋で説敎所を立て寺院の築くの順序なり、去れど外國の伝道即ち開敎なるものゝ順序は、彼外國宣敎師の夫れの如く領事往き宣敎師行の順序たるべからず、仮令其○信徒の有無に係はらずシッカリ此處に尻を据へ永年を期して其能く之を勤むるに至るは之れを勤め得るの資力と境遇とを與ふるに由る、然るに吾國の布敎師は全く此の付與を欠けり、抑々韓國の布敎は其初め皆な信徒よりの請求に応じて來たりたるものにて未だ嘗て新地に來り新に信徒を作りたるの例を聞かず、是れ即ち信徒本位にして信徒より起りたるの布敎なり、故に其の布敎は常に邦人のみ限られ未だ韓人間に及すこと能はざるは全く之れが爲めなり、
在韓居住者は水萍の如し 在韓の居住者ほど頼みにならぬものはなし、何んとなれば此等の人民は全く景氣を遂ふて集り來るもにて景氣好き時は潮の如く一時に繁殖し來り景氣振はざる時は忽ち解散し去るものなり。(中略)夫れ斯の如く在韓の信徒は集散殆んど常なく宛ながら水萍の如し、今此等の信徒を本位とし布敎の方針を立てんとす是所謂砂上に楼閣を築くものなり豈に危からずや、吾邦人にして尚ほ然り況んや韓人の如き全く烏合の徒にして何れも利慾に集る者なれば、忽にして來り忽にして去り毫も根拠とするに足らざる者なり、故に云ふ信徒本位の布敎は全く忘想なり全く駄目なりと。

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