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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「韓國布敎と統監」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1910年7月2日
本文
寺内統監就任後の統監政治が如何に面目を一新すべきかは世人の注意を払ひつゝある所なるが、聞く所によれば新統監は愈々○○を實行して日韓百年の長計を立つるには先づ國民信仰の根本的問題に重きを置くの必要ありとし、従來の統監府が寧ろ之を閑却するの嫌ありたる布敎問題に就きて先頃より専門家の意見をも徴し、殊に韓國に二百萬の信徒を有せんとする米國宣敎師等を遇する方法に於て萬遺憾なきを期し相待て韓國開發誘導の道を講ぜんとの方針を執りつゝあり、
過去に於ても現在に於ても又將來に於ても統監政治上等閑に附すべからざる一問題は日本の殖民地政策と有力なる米國宣敎師團の韓人を基督敎徒化せんとする運動とを如何にして調和し得べきかといふにあれば、新統監の態度は久しく聞かるべくして聞かれざりし自曲の要求に触れたるものなるべし、尚新統監は一方に米國宣敎團をして一層布敎の便を得せしむると同時に他方には内地より有力なる宗敎家を渡韓せしめて伝道に努めしむる由なれば半島の宗敎界は頓に活氣を添ふるに至るべしとなり。
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