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記事題目

「鮮人佛敎高等學院」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1912年4月6日

本文

西本願寺の經営に係る朝鮮京城なる佛敎高等學院及び啓成學校は去る一月十八日の開校に係るものにして開校當時は高等學院の在籍生參十五人なりしも其多は欠席のみりしを以て止むを得ず學○を○りたるが、去月十九日より二十參日まで學年試験を行ひたるに何れも意外の成績を得たり、殊に國語に於いては他の鮮人學校に比して非常の進歩なり、參十一日京城永樂町本願寺總監部に於いて進級詔書授與式を擧行し、京城府庁學務課徳江宝隆、總督府宗敎局渡邊彰、京城巡回敎師渡邊、t村両氏、學徒父兄二十名龍山、仁川西本願寺布敎使等の來賓ありて盛會なりき、其高等學院餘科修了者は李丙寿、梁時釣二氏以下十參名にして啓成學校男子部二年級修了者はは揚性玉、洪性虎二氏以下六名、同一年級修了者は李○克一名、同じく女子部一年級修了者李文善、金錦珠二名なり、高等學院の李丙寿は學業優等にて啓成學校の揚性玉は品行優等にて各二等賞を授けられ、高等學校には本學年間無欠勤にて皆勤賞を受けしもの六名ありしと云ふ。

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