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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
作者
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1880年9月22日
本文
朝鮮釜山浦に設置せられたる東派本願寺敎場は近頃朝鮮人の參聴すこぶる多く何れも自國の禮儀に盡して粛々たる姿なるは誠に感すべき事なるに之に反して我國人の時々同場へ參詣する者は概ね無禮の振舞多く朝鮮人に冷笑はるゝも恬として耻ぢざる風情なるは頗ぶるに國辱なればとて此程前田總領事より居留人一同へ篤く諭達せられたるよし抑も我國人の頭脳中には奉敎敬愛の善心日々に減却し傲惰軽慢の迷情のみ益へ增長し風俗の麁暴なる古來曾て聞かざる所なり然れば朝鮮人に笑はるゝはまだしもの事この分にては蝦夷人にも台湾人にも笑はれすとは保証し難かるべし偖其耻辱の歸する所は政治家ならんか將た敎法家ならんか詳らかに其原因を求めは亦た恐らくは敎法家の積弊のぞき難く左右無慈不届なるに決歸せん悲しむべきの居りにこそ
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