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記事題目

社説「日宗海外宣敎會認可せらる(一言以て祝意と希望を寄す)」

作者

雑誌名

『日宗新報』

号数等

623

年月日

1897年2月8日

本文

朝鮮布敎の要、京城開敎の急、吾人之を前輯に一言せり、是れ加藤文敎師の檄文に対し宿論を述べて同情を表せしに止まる、尋て日宗海外宣敎會が其筋の認可を得て、大に其規模を皇張し以て其目的を實行せんとするの快報に接す、吾人は一段の滿足を以て之を迎んと欲するなり
旭日苗老師寿耳順を越へ○鑠として錫を海外に飛ばし朝鮮の各地に巡遊し釜山先つ別院を開き、仁川亦た會堂を築き、元山津既に一清正堂を設け、遂に露領浦塩に航して事情を視察し、歸來東請南詢専ら同會の事に従かはる、文敎、慈貞(不幸中夭)、龍進、岱山、の諸師亦た大に力を同會に致し、百折不撓以て韓國布敎に熱中す、故を以て同會事功の朝鮮に顯はるゝと共に本邦に於ける緇素會員既に六千餘名を得るに到れり、同會の功勞亦た多ならすや、今茲同會は更に革新を企て其規模を皇張し、先つ其筋の認可を得、東京緇素の賛助を求め、大に運動上の敏活を進めんとするものゝ如し、吾人豈に之を祝せさるを得んや、而して同會は其目的を左の如く宣言せり
佛敎西漸の祖訓を奉し一乗圓頓の妙法を朝鮮支那及ひ欧米各國に宣伝なし
即ち知る其開敎の順序は朝鮮を先とし、漸次其目的を達するに在るを、是れ吾人か前輯に於て述へたる希望と同ふするものと云ふべし、聞く管長猊下は旭師の功を表旌する所あり、東京四部録司は既に協賛を表され來參月を以て東京優等寺院の團結せる有志會の賛助を求むべしと、吾人は一宗が奮て之を賛成し、内は祖誡に遵ひ、且つ日本の対韓策を助け、外は韓人の元氣を鼓舞策興し、以て韓人の精神的独立を誘掖し、進て東洋平和の實相を圓滿ならしめよ、

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